C A R E E R 0 1 Y O S H I Y U K I M I U R A

三浦 吉幸

技術本部 技術管理部 技術管理グループ
2009年入社/工学研究科物質化学専攻

日本で唯一の
使命と共に

01「オンリーワン」の
響きに
導かれて

体を動かすことが好きだった。中学では陸上部に3年間を捧げ、高校ではラグビー部に所属した。理系に進学したのは、単純に理系科目が得意だったから。大学で始めたアメフトは怪我により1年半で辞めてしまったが、そのぶん学業に力を入れ、大学院ではチタンの表面処理を研究していた。原子力とは全く縁がない分野にも関わらず、就職活動で日本原燃を志望したのは、地元である青森県で働きたかったからだった。

日本原燃の名前は、幼い頃からテレビCMを見て知っていた。原子燃料サイクルをはじめとする、日本で「オンリーワン」の事業に携われることが何よりの魅力だったし、その技術力で社会に貢献できるという、縁の下の力持ちである立ち位置にも好感が持てた。社内教育に力を入れており、原子力以外の分野からも広く人材を募集していることも応募する後押しとなった。

新人時代を振り返ると、楽しく仕事ができた思い出しか残っていない。もちろん原子力という異分野へのチャレンジに、最初は難しさを感じることもあったが、先輩たちはどんな質問にも丁寧に答えてくれた。その優しさに甘えて、こちらも積極的に距離を詰めることができた。人によっては、生意気だと思われても仕方ない態度だっただろう。先輩たちの寛容さに救われていたのだと、部下を持つ今、改めて思う。

02プレッシャーを
使命感に
変えて

入社後に配属された再処理計画部では、主な業務が2つあった。1つは、使用済燃料の再処理工程に用いるガラス素材の開発。再処理工場から発生する高レベル廃液は、溶かしたガラス原料と混ぜ合わされ、「ガラス固化体」として処理しなくてはならない。しかし当時、高レベル廃液に含まれるモリブデンなどの成分がガラスに十分に溶けず、ガラス溶融炉や周辺の設備に悪影響を及ぼすことがあった。この溶け残りを抑制する新ガラス素材の研究がかねてから進められており、私が入社した2009年から本格的な開発がスタートした。

開発はメーカーに委託する形で行われ、メーカーや研究者で構成された有識者委員会も立ち上がった。委員会の人選や場所の確保を行うのが新人の役目だったが、最初は段取りがうまく行かず、先輩のフォローを受けながら仕事を覚えていった。新ガラス素材開発には3年ほどかかり、2012年には本番環境と同等のモックアップ環境で、その効果を検証することができた。

また、新ガラス素材の開発は資源エネルギー庁(エネ庁)からの補助金(使用済燃料再処理事業高度化補助金)をもとに行われ、この補助金に関する業務もまた仕事の一つだった。補助金は支給期間のあいだ毎年精算する必要があり、この1年で何にどれだけの予算を使ったのか、内訳を取りまとめて年度末に報告をしなければならない。裏を返せば、決められた予算内で最大の効果を得る必要があるということ。社内には「国の補助金を使うのだから失敗は許されない」という意識があり、それがプレッシャーとなることもあった。

それでも、まさに志望動機だった「オンリーワンの技術」に関われているという実感があり、大きなやりがいがあった。プレッシャーは使命感に変わり、「日本原燃にしかできない」という存在意義を感じながら仕事に向き合っていった。

03がむしゃらに働くだけが
仕事ではない

2014年、新ガラス素材開発は次のフェーズに移った。より多くの高レベル廃液を一度に処理できるよう、廃液を多く充填できるガラス素材の開発が進められることになったのだ。補助金事業の枠組みも変わり、今度はエネ庁から業務委託を受ける形で開発を進めることになる。それは、これまでメーカーに委託していた内容を、日本原燃が自分たち主体で行うことを意味していた。

日本原燃では、ガラス固化の研究開発設備である「ガラス固化技術開発施設」を2013年に完成させていた。とはいえ、完成当初は最低限の設備しかなく、自分たちもガラス素材開発のノウハウを持っていない。そこで、最初の数年はメーカーと技術指導の契約を結び、開発ノウハウを学ぶことになった。ドラフトチャンバーなど、開発に必要な設備をラインナップし、社内手続きを通じて手配を行った。開発環境が一通り揃った後は、実際に現場作業を担当する技術員たちと共にガラス開発のプロセスを経験し、開発イメージの共有を図った。もちろん、開発にはガラスの知識も伴う。セミナーに参加したり、部内で勉強会を開き英語の文献を読み込んだりなど、知見の底上げにも取り組んでいった。

また、業務委託となったことで、開発経過の報告や契約手続きなど、新たな関連業務も生まれた。特に報告書の作成は、全体で1000ページ以上に及ぶ膨大な作業となり、必要なデータや評価結果は、大学にも協力を依頼しながら取りまとめていった。さらに毎年の契約手続きには、契約書や見積書、実施計画書などを用意する必要があり、年度末は深夜残業や休日出勤が続く日もあった。いつまでもこのままの働き方ではいけない。やがてチームを束ねる立場になり、担当業務を割り振ったり、先んじて準備を進めたりすることで、一人にかかる業務負荷を減らすように努めた。今では、休日出勤はゼロ。がむしゃらに働くだけが仕事ではない。マネジメントの大切さを教わった業務だった。

04新たな視点から見えた、
キャリアの集大成

キャリアの転換点を感じたのは、入社から11年が経った2020年4月。部署が再編され、新ガラス素材の開発に加え、新たに技術管理グループを兼務することになったのだ。与えられたミッションは、技術開発の全社統括。日本原燃の各部署で行われている技術開発について、その計画や成果を取りまとめ、今後の開発計画の礎にするというもの。取りまとめた内容は全社に周知されるため、日本原燃の「現在地」を伝える役割を担うことになる。

入社以来、新ガラス素材の開発に携わってきたこともあり、最初は全く異なる業務に戸惑いもあった。だが、各部署と連携を図るにつれ、地震対策の研究やMOXペレットの製造、予兆管理の技術など、これまで知ることのなかった他事業部の研究開発に興味が湧いてきた。日本原燃がこれから何に取り組み、どんな技術を必要としているのかが見えてくるのだ。その観点で改めて新ガラス素材開発を振り返ると、現在地から目指すべきゴールや、その先の展開まで考えられるようになる。長期的かつ俯瞰的な視点を手に入れたことは、成長の実感につながった。

また、2021年は新たな国の委託事業である「放射性廃棄物の減容化に向けたガラス固化技術の基盤研究事業(使用済MOX燃料処理技術の基盤整備)」の受託に向けた取り組みも担当した。使用済ウラン燃料の再処理サイクルは既に確立されているが、使用済MOX燃料についてはまだ技術が確立されていない。その処理プロセス全体の基盤整備を請け負う事業だ。委託先は国によって公募で選ばれるため、短い期間で申請書や提案書を用意せねばならず、その準備に奔走した。提案書を提出できたのは、締切時刻の1時間前。ギリギリの応募に不安もあったが、無事採択されたと連絡を受けた時は、全身の力が抜ける思いだった。この事業受託はニュースとして、地元紙に大きく取り上げられた。まるでこれまでのキャリアの集大成を見ているような気持ちになり、その記事をいつまでも眺めていた。

F U T U R E

「オンリーワン」の責任を胸に

今までのキャリアを振り返ると、日本原燃という会社は多くの人から期待を寄せられているのだと強く思う。他に類を見ない研究開発が多数進められ、原子力燃料の再処理に関わるプロセス全体を統括できる企業は、日本原燃以外にない。新ガラス素材開発においても、有識者委員会で「この分野は日本原燃が引っ張っていかねばならない」という意見を頂戴してきた。オンリーワンの存在だからこそ業界をリードする責任があり、そこに日本原燃で働く醍醐味が詰まっていると感じる。

自身にとっての今後の課題は、後進の育成にある。入社当時からエネ庁関連の事業に携わり、開発も事務も両方経験してきたが、周囲の声を聞くとこれは前例のないキャリアだという。ならば「オンリーワン」の責任として、この経験を未来に渡さねばならない。30代も後半にさしかかり、これからは、より高い視座で組織を見渡すことが求められる。自分自身成長を重ねながら、事業を完遂させることで、日本の未来に貢献していきたいと思う。